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2017年6月11日日曜日

関西文学散歩

馬見丘陵古墳群で「かぐや姫」に出会おうをスローガンにした文学ウオークに参加してきました。

講師の先生は「かぎろひの大和路・かぎろひ歴史探訪でお馴染みの田中先生」朝10時に近鉄池部駅集合受付で馬見丘陵公園 を縦断し竹取公園そして讃岐神社に向かう行程ですが・・・何を勘違いされたのか主催者の先生(田中先生では、ありません。先生は私と同じで、何とかのせいで真夜中に起きられます。この日もきっちり私より早く駅のホームで一服中でした。)が南大阪線の古市駅の方に向かわれたとか。途中で気が付かれ、なんとタクシーで。

無事受付とかが終わりイザ出発!まず河合町の役場正門と前庭を見学。



















役場正門前に見慣れたお方の

お姿が。

まるで「美女と野獣」 












 こちらでしばらく役場の歴史のお話を聞きやがて「馬見丘陵公園」にと入っていきました。

少しウオーキングロードをぞろぞろ歩いていると、河合町の総合福祉会館「豆山の郷」に着きました。

こちらで先生の講演、昼食休憩をとりました。
お話は沿道の神社や施設についてと竹取物語に関するお話、なかでも川端康成の現代語訳の解釈の仕方。
源氏物語にどのようにこの物語が登場するかなどのお話。


時間が来たので「馬見丘陵公園」を南に進路をとり、途中今開催されている「菖蒲祭り」の菖蒲園を見学し、駅でいただいた河合町の親切。お土産引換券でお土産をいただき、ナガレヤマ古墳を。






 お土産にいただいたお花のポット






 ナガレヤマ古墳を後にして一路竹取公園、讃岐神社を目指します。




ここ讃岐神社で解散ですが皆さん臨時バスで近鉄大和高田駅に。私は一人淋しく来たコースを逆内池部駅に。

今、奈良では色んなところで音楽祭をやっています。ここ「馬見丘陵公園」でもやっていました。


お花も咲いていました。



美味しそうな・・・・

 出店者の方が持ってこられたものです。

楽しくも気持ちの良い一日でした。

2017年6月10日土曜日

かぎろひ歴史探訪ー第8期最終回、大和郡山ー

か弱き私、なのに非常なメールが・・・「シフォンなくなりました、至急よろしく」。「なんで今頃」でも気持ちに余裕をも持たなくては何事もうまくいきません。そこでご近所のお花を・・・当然のごとく名前は知りません。



 このあとゆっくり夕食を済ませ、とりかかったのがこちら!

まさかの展開、「あいつがこんなの焼くの?」

美味しいですよ、どうぞお越しください、お孫さんと。




この日も歳のせいか真夜中にお目目が覚めて仕方なく早出、でも

JR郡山から近鉄郡山までは少し歩きますのでいいかと、王寺駅

で電車に乗ったのが8時半前、いくらなんでも早すぎ。



 近鉄郡山駅まで「ぶらできさん」で参りましたが案の定どなたの

姿もなく、寂しい思いをしていましたが、やがて何やらたばこのに

おいが、振り返るとそこにはやはりタバコ吸いのお方が例のごとく

「おかしいな?西大寺では先の電車に乗ったはずだが、どこにも

あの別嬪コンビは」私はまだどなたもお見えではないですよ。とお返事。(雨は降ったり止んだり)

そうこうしているうちに皆さん次々とやって来られ時計は10時を。

なんといっても郡山。金魚の街、まずは金魚資料館に、私はと言

えば故郷の金魚「出雲なんきん」を探しここでも紹介をされていたので「百三つ」の面目やくじょ。それにしても色が色が白かった。
出雲美人と同じかな?ちなみに奥様は該当いたします。
















田植えが終わった水田、金魚養殖田の細道を通り新木山古墳に向かいました。(にきやまこふん、陵墓参考地につき未調査。数基あった陪塚は今はありません) 

  
古墳を後にして向かう先は、豊臣秀吉の弟で若くして亡くなり、皆に惜しまれた豊臣秀長大納言を祀る大納言塚。メンバーの中には若いがゆえに大納言と言えば「小豆」と思っている人も・・・。

 この塚にある「高見地蔵」です。大納言との関りは分かりません。

ビックリしたのが黄檗宗龍崋山「永慶寺」さんでした。
とにかくデカイ敷地、徳川時代柳沢氏が甲斐の国(柳沢氏の故郷)から移した墓守寺?かな?
龍崋山の山号のごとくの竜宮門、素晴らしい。(小さな声で市長さ~んもっとみんなに知らせて~観光だよ)
永慶寺を後にして今回のメーン会場?となる「郡山城」に。

現在城跡は修復中でところにより発掘調査を行ったり、石垣の調査や修復が引き続き行われています。
私たちはこちらで昼食をとり、田中先生のお話を聞きました。

何年ぶりでしょうここに来るのは。以前は車の免許の更新に来ていました。その時の開館はまだありました。旧県立図書館の建物です。

 先生のお話(豊臣、徳川時代明治維新、その後について興味尽きないお話でした。)
東屋をメーンとした寺子屋でした。
 城址の中にはいろいろ面白いものが

新しく築かれた「天守台」
 ここからは大和平野が一望できます。
























現在の城主様かな?

先生のお話が済み城下町へと短いおみ足を延ばします。
「本家菊屋でございます」「お城の口餅」で名を馳せているあの有名な菊屋さんに。26代目だったかな?定かな記憶ではないです。こちらで興味のあるお話をしていただき、昔からのお菓子の木型を見せていただいたり、お店の作りの「へ~へ~」の連続のお話をいただき楽しかったです。元論「お城の口餅は私の口餅に」美味しかったです。

そしてぶらぶら「紺屋」町を今夜は「岡町にしようか、それとも洞泉寺にしようかと」男どもは考えながら千鳥足。

外堀緑地公園を「ペチャクチャ」歩いていると・・・
 面白い文字盤の時計が

洞泉寺界隈を見て歩き、源九郎稲荷神社、薬園八幡神社とJR郡

山駅の方に向かい蟹川堤から稗田環濠集落に。

亀はおりましたが蟹は見かけませんでした。

奈良には環濠集落が多くありますが、ほとんどが低地だと思います。

集落同士の争いから集落を守るのも目的だと思いますが、雨が続いたときに水から集落を守るための調整池の役割が大きいのではと思います。昔でいうならば「悪水い抜き」かと。


 ここの環濠の中には賣太神社があり、その昔誰かが襲われたとき大声で「アレ~」と言ったので「稗田阿礼」と言う名が付き誰かと同じように記憶力がよかったので、身なりは悪いが大いに抜擢され「乞食」ではなく「古事記」編纂にかかわったのだそうな。
とにかく昔話はよくわかりません。

2017年6月1日木曜日

あじさい月

今日から六月あじさい月、いよいよ雨本番つゆを迎える準備のよ

うに、庭の紫陽花が色づき始めた。






時計草が今年はほんとに沢山の花を咲かせてくれています。